クズ人生の軌跡

初めまして笛です。

1993/1/21生まれの男です。

今回は私の人生について振り返ろうかと思います。

 

 小学校を卒業した笛少年は都内の中高一貫男子校に進学しました。

中学時代の部活は剣道部、学業は学年30位ほどと普通の生活を送っていました。

 転機が訪れたのは高校二年生。高校でも剣道を続け、勉強もそれなりにできていた私は、その年に開設された国立大学志望クラスに移動しました。周りは学年トップクラスの人たちで私は足下にもおよびませんでしたが、人間関係に困ることはありませんでした。担任の先生を除いて・・・

 元々担任の先生が苦手だったのですが、先生も私のことを良く思っていなかったようで、毎日顔を見るのが苦痛になるほどでした。当時ニコニコ動画が全盛期だったり、麻雀ゲームにハマっていたことも拍車にかけて学校を休みがちになり半分不登校状態でした。剣道部顧問の先生にはよく気をかけていただいていたので、今でも感謝しています。

 さて、不登校なわけですから勉強にいていけるはずもありません。苦手な化学などは赤点すれすれでした。当然、国立大学なんて受かる訳もなく、受かったのは日本大学のみ。親の助言で浪人することにしました。ここからが我がクズ人生の始まりです。

 浪人が決まってからはまず、予備校探しです。兄が昔通ってたということもあり、駿台に決めました。最初は普通に通っていましたが、通学片道1時間・・・めんどくさくなってきました。そこが私の悪いところである「いやなことからは逃げる」発動です。予備校に行かなくなりました。親には通ってるとにしてゲーセン・雀荘通いです。まぁ、当然親にバレまして、駿台をやめることになりました。

 結局親が探してきた個別塾に入り、さすがにそのときはサボることは無かったので、おかげさまでそこそこ知名度のある大学の物理学科に合格できました。

 

大学生以降

 大学入学後、アルバイトも始めて充実な生活を送っていました。しかし、大学生とは誘惑が多いものです。特に出席確認があるわけでもなく、まだ、友達も少なかった私は大学に通うのが億劫になってしまいました。はい、授業をさぼり始めます。当然授業内容がわかるはずもなく、テスト結果は不可です。私の大学では一年の必修科目を落とすと留年という扱いになります。(留年しても4年で卒業することはできる)なんと次の年もこれをやらかします。クズですね。親には何度も怒られましたが、チャンスは毎回くれました。

 次の年、本来ならば三年生になっているとしですが、前年に比べて真面目に授業にでて進級します。二年生も普通に単位を取得し、三年生へ。

 三年に入りまた、例のさぼり癖が発症します。一回でも休んだら癖になっちゃうみたいです。なんと三年前期の習得単位数は2です。繰り返します。2です。この時点で卒業までの残り単位数は62単位。後期フル単しても4年生で38単位残ります。私の大学は年間49単位までの単位登録制限がありますのでコマ数を増やすことはできません。1コマ2単位貰えますので、6教科落としたら留年ということになりますね。完全に自業自得です。

来年は就活もありますし、単位を落とすわけにもいきません。卒研もあるので、結構ハードです。卒業できる可能性がある分、諦めることもできません。

 そして後期が始まり、今に至ります。まとめると一浪二留の単位がヤバいクズです。これからどう頑張ってもマイナスからゼロに近づけただけの人間です。私の大学は落単や留年で有名ですが、それでも六割の学生はストレートで卒業します。大学のせいにはできません。

 これからはそんなクズが思ったこと気になったことを不定期で書いていこうと思います。